ハイスペ女子( )のよこしまな所感

元社畜・現育休中30歳OVER女子( )の日々の所感。

企業戦士は逃げるまで辞められない

電通過労死のニュース、非常に心が痛みます。

 

似たような経験をしたことがある私からすれば(もはや高橋さんの意見を聞くことはできないので私だけが"似ている"と感じているにすぎないのですが)、勤務時間が長かったことだけが自殺の原因となったわけではないのでは?パワハラやセクハラ発言など仕事のしづらい環境もあったのでは?と、そんな考えがよぎりました。

そしてその後、twitterのつぶやきを辿るとその実態が可視化されていることがわかりました。下記のサイトにわかりやすくまとまっています。

menhera.jp

亡くなった高橋まつりさんのツイートを見ると、とても他人事とは思えませんでした。まるで3〜5年前の自分の日記を見たのではないかと思ってしまいました。そして当時の辛かった思いが突如蘇ってきてしまって心がザワザワするので、自分なりにまとめて気持ちを整理することにしました。

 

 

 

内定

私が就職活動をした年は就職氷河期と呼ばれていましたが、なんとか志望度の高い1社に内定をもらうことができました。当時、単純な私は「唯一私を拾ってくれたこの会社に献身しよう」と本気で思っていました。入社した会社は就活生には毎度お馴染み激務ランキングの上位(死んでからが勝負)にランクインしています。高橋まつりさんが所属していた電通も"死んでからが勝負"に入っていますね。

 

私は自分の会社が激務で有名なことは知っていました。しかし就職活動中、私は人事の人やOBOG訪問をした先輩方に「ネットには"死んでからが勝負"だなんて書かれているが、そんなことは全然ない。昔は確かにひどかったらしいけれど、今は定時に帰れる日もある。」などと言われていました。ネットの発信者不明の情報より実際に働いている人の言葉を信じました。

ちなみに今の振り返ってみると「会社トータルで見れば、死ななくてはいけないほどではないかな」とは思います。配属場所によっては死なないとやっていけない部があるのは事実だと思います。死ななくても良い部の方が多いとは思います。

 

入社して企業戦士になるまで

さて、私が配属された本部は死ぬ必要はないにしても会社としても花形の部署でした。私はもともと負けず嫌いですし会社に献身するつもりでやってきていますので、まずは有能な新入社員になるよう努めました。そして自分で言うのもおかしな話ですが、すぐに"有能な新人"として評価されました。"勘違い乙"と言われそうですが、今後の話を進めるためにもそういうことにしておいてくださいw

実際に同期の中で最速で大きめの案件を任されたり、「君が噂の新人か!」などと他部の人に言われたりしたので、"日々成長に感謝"な意識高い系だった私は、自分が評価されていることを嬉しく思っていました。

 

私の急速な"感謝すべき成長"を支えたのは同じ部にいた育成担当の先輩でした。名前を田中さんとでもしましょう。

田中さんは若くして大型案件のリーダーとなるような有能な先輩でした。私のチームメンバーの案件管理・人員配置のようなこともしていました。

田中さんの部下指導方針は「詰め込むだけ詰め込む。詰め込めなくなったら助ける。」で(←実際に本人が言っていた言葉)、その宣言の通りに武器を与えずに崖の下に蹴り込むような人でした。私にもよく仕事を"丸投げ"状態で渡してきて「本当に一歩も進めなくなったら質問して」と言われました。

私は昔から負けず嫌いでしたから「これ以上はわかりません」と言うのは苦手です。 やって見るところまでやってみたいと考えていました。たとえ徹夜になろうとも。

実際に田中さんに何度も崖の下に落とされても這い上がりました。「お前だけは何度落としても自力で上がってくる」とも実際に言われましたし、当時の私はそれをとても栄誉だと感じていました。そんな育てられ方を通して私は立派な"企業戦士"になっていきました。

企業戦士から抜け出せない

そうすると周りは「あの人は企業戦士なんだな」と認識をします。企業戦士に暗黙認定されると仕事がびっくりするほど集まってきます。田中さんからは「お前ならできるよな?」と仕事が降ってきて、負けず嫌いな私は「はい」と答えますし、部外の人からも頼りにされて時間をどんどん取られていきます。

逆の言い方をすれば私の会社では「使えない」認定をされると仕事がほとんどありませんでした。陰口も言われます。田中さんは平気で"使えない"人たちの陰口を私に言ってきては「お前はああいう風にはなるなよ」と釘を刺してきました。

 

田中さんは「定時はせめて22時」的な考えの持ち主でした。上にそのような考えの人がいる場合、本当の定時(18時)に帰れるような文化がありません。なので私は毎日のように夜中まで仕事をしました。早く帰れても深夜に会社へ呼び出されることもありました。電車がなくなればタクシーで帰りました。休日出勤も多かったです。

そんな毎日を続けているとだんだん辛くなり始めました。家に帰ってシャワーを浴びて夜中にご飯を食べて少しだけ寝て…すぐに朝が来てしまう。次の休日も出勤…。「辛いなぁ」という気持ちがだんだん大きくなっていきました。

そして「辛い」ことを田中さんに打ち明けるようになりました。「この案件は重いから他の人に回してほしい」とか「業務量が辛い」とか。しかし今まで企業戦士としてやってきた弊害なのか「またまた〜お前ならできるだろ!」と言われ、何も改善されないのでした。

一度"企業戦士"的な働き方を身につけてしまうと、自分が止めたくても止められなくなります。周りからは「この人なら何時間でも働ける」「この人なら休日も使える」認定をされてしまうのです。今思えば、私の会社では「できる社員」は結局「都合よく使える社員」という意味でした。

 

辛い毎日を過ごしながらも私はやがて結婚して新しい家庭を築きます。家事は夫と協力するのが理想的ですが、私は会社にいる時間が長いため家事をする時間がありませんでした。夫婦の時間を持つことすらできませんでした。友達から「新婚生活ってどうなの?ニヤニヤ」って聞かれても本当に「何にもない…」と答えることしかできませんでした。

生理が止まる

そんな毎日を続けていると、だんだんと「辛さ」が表面化してきました。

まず生理がこなくなりました。昔から忙しい時や悩みがある時にはすぐ生理不順になる体質でした。社会人になってからも大変な案件を担当している時は生理不順になることがよくありました。案件が終わると元に戻ったり。なので最初は大して気にしていなかったのですが、結婚してからはやはり子供も欲しくなったので、生理不順が気になるようになりました。かと言って病院に行く暇などはないので放置です。

死にたい

軽々しく言うべき言葉でないことはわかっています。しかし「死にたい」と思うようになりました。その上「でも自分では死ぬ勇気がないな…」と考えていました。いっそ誰か殺してくれないかな、帰りに事故にでも巻き込まれないかな、とすら当時は考えていました。(不謹慎な考えであることは承知です。)

会社の健康診断では精神状態をチェックする簡単なアンケートが実施されていました。そして健康診断の結果と一緒に診断結果が返されます。「死にたい」と思うようになってから精神状態について「極めて危険」判定が返ってくるようになりました。そりゃそうです。

その結果の紙には「まずは会社にいるカウンセラーのところへ行ってみよう」的な文面と問い合わせ先が書いてありました。会社にはメンタルケアのためのカウンセラーが週何日かいることになっていました。私は何でもいいから誰でもいいから助けてほしいという気持ちでいっぱいだったので、問い合わせをしてカウンセリングを受けてみようという気になりました。

しかし問い合わせ先の詳細を見てみると対応してもらえるのは週2日ほどしかなく、しかも電話での受付時間は18時としっかり定時まででした。この時間に電話できる余裕があるなら精神病んでないよ…と当時は失望した記憶があります。それでも何とか電話できる時間を見つけて私用携帯から電話をかけてみるも全くつながらず(出てもらえませんでした)さらに失望しました。結局会社なんて形だけカウンセラーおいてるだけじゃねーか!と。

会社に行けない

そしてだんだん日が経つと、朝起きて会社に行けなくなりました。どんなに頑張っても朝起きられない、頑張って起きると胃がキリキリと痛くなって立ち上がれない、通勤路で吐き気がする…。そんな感じで会社に行けない日が続きました。それでもクソ真面目なので午後からなんとか会社に行きました。入社当時の私なら「こんなのは精神が弱い不真面目人間の言い訳だ」と思ったに違いありません。

朝会社に行けなくなった私に対して課長に「こちらとしても心配だから胃の検査をしてきて」と言われました。当時の私は「何でもいいから体に異常が見つかってくれ…!いっそその病気で死んでもいい!」と思っていました。

しかし検査をしてみても胃に穴があるなどの異常はなく「大きなストレスがかかっています。仕事量を調整した方が良いのではないでしょうか。」と、自分でも自覚していることを告げられたのみでした。いや、でもお医者さんにそう言ってもらえたのは嬉しいことでした。「ストレスがかかっているのは自分の勘違いではないんだ!」と思えたからです。その結果を課長に伝えました。しかしそれでも、自分の業務量が減ることはありませんでした。

なんとかこのストレスをマネジメントしたいと思い、心療内科へ行きました。そこで先生と色々と話をして「仕事の量を調整した方がいい」ということを、再び言われました。「上司に相談できる?」と聞かれ、私はそこでモゴモゴとしてしまいました。

「相談しづらい理由があるのかな?」と先生に言われ、私はようやくあることに気がつきました。

本当に嫌なものを自覚

私のストレスはもちろん仕事の業務量が原因でもあるのですが、一番は田中さんの存在だということをはっきりと自覚してしまいました。実は薄々気がついてはいたのですが、自分のことを「できる社会人」にしてくれたのは田中さんですから、多分そのことに気づきたくなかったんだと思います。

仕事を丸投げしてくる田中さん

SOSサインを出しても取り上げてくれない田中さん

"使えない社員"の陰口をひたすら横で言ってくる田中さん

そして、そういえばパワハラセクハラ発言も多い田中さん…

実は自分にとってネガティブな影響を与えまくっている田中さんの存在をはっきりと自覚してしまいました。

パワハラセクハラ

田中さんは笑いを取るつもりで私のことをイジってくることがよくありました。

業務量が多くて家に帰って自炊などできない日が続いていた私に対して「女なんだから料理くらいしなよ〜」とか、業務量が多くて化粧する余裕もない私に「今日すっぴんwww化粧くらいしなよ」とわざわざ言いにきたり、そしてよく言っていたのは「うちの部には北川景子みたいな女の子が来てほしかったのに、来たのは男だか女だかわからないような…」という発言でした。

なぜ田中さんは私に仕事能力だけでなく"女"も求めてくるのだろうかと、実はイライラが募っていました。私だって家で料理したりきちんと化粧やおしゃれをしたい人間ですが、それを不可能にしているのはあなた部下の仕事管理が下手くそだからではなくて!?そして自分は不細工で私より身長も低くて彼女もいないくせになんで私の外見に文句垂れてんだよ!!!と心の奥で思いつつ。しかし相手はチームのリーダー的存在ですからペーペーの社員が「パワハラだセクハラだ」なんて大きな声を出せるわけもありません。

仕事量で追い込んでくるだけでなく、無意味に"女"を要求してくる田中さんが本当に本当に嫌いになって、田中さんの香水の匂いを嗅ぐとトイレに駆け込んで吐くようになってしまいました。(田中さんはバカみたいに香水をつけ狂う人でした。)

そして逃げた

見兼ねた夫が仕事を辞めることを勧めてきました。私がダメにならなかったのは夫のお陰です。今思えば課長や人事部にでも相談していればどうにかなったのかもしれません。しかしこの時、私は会社には味方が誰一人いないような気持ちになっていました。

田中さんの人格はさて置き、仕事能力は高い人でしたからなかなか周りの人に「実は田中さんのことで悩んでいて…」と言い出せなかったのです。

転職先はすぐに決まりました。激務ランキングで言うと"激務の壁"すら超えないところです。いや、壁すら見えないあたりですかね笑。

転職が決まるとあらゆる仕事を他の人たちに引き継いで、びっくりするほど体と精神が元に戻りました。単純と言われればそれまでなのですが、生理はやってきて、死にたい気持ちはなくなり、朝起きられるようになり、田中さんの香水の匂いがしても吐かなくて済むようになりました。くさいけど。

周囲の人の反応

田中さんは非常に残念がりました。「手塩にかけて育ててきたのになぁ」と。私は田中さんの仕事人として有能な部分だけはしっかり盗まさせてもらいました。田中さんにとっては飼い犬に手を噛まれたような気持ちだったのかもしれません。しかし犬からしてみれば、ずっと犬ゾリを引かされる毎日はもうまっぴらです。結局彼が育てたかったのは(おそらく無意識でしょうが)"自分が使いやすい部下"だったのでしょう。

課長も残念がってくれました。他メンバーに引き継いだ仕事量の膨大さを見て「こんなに仕事持っていたのか」と言われました。課長なら把握しとけよ。

部長は「責任感が強くて、真面目でだったから、仕事辛かったかもしれないね。」と労いの言葉を優しい口調でかけてきました。転職決まってから優しくされても…気づいてたなら何とかしてほしかったです。

同期の佐藤くん(仮)には「田中さんきつかったんでしょ?うちのチームでは田中さんのせいでヨコシマさん(私)に死相出てるって話でよく盛り上がってたよ。」と言われました。その盛り上がりに私も入れてほしかったです…。

 

今思えば、もしかしたら話せばわかってくれる人がいたのかもしれません。人任せ思考かもしれませんが「ちょっと大変そうだな」って思ったことがあったのなら声かけてほしかったです、部長や同期の佐藤くん…。私も「辛い」は自分なりに発していたつもりだったのですが、それが下手くそだったからか結局誰にも届きませんでした。

今、当時を振り返って

転職してよかった、と心から思っています。

ただ前の会社にそのままいてやってみたいこともありました。だからたまに「どうすれば私は転職しないで済んだのかな?」と考えることがあります。

田中さんの考え方や発言を私が変えることはできませんから、私が働き方を変えればよかったのかもしれません。誰かにもっと明確にSOSを出さなければいけなかったのかもしれません。しかし、やはり当時の私だったらできなかったんですよね。本当に死にたかったんです。せめて会社のことを忘れて寝たかったんです。会社の人のことは誰も信じることができなかったし、自分一人でもがくしかありませんでした。…結局逃げるしかなかったんですかね?

 

憶測でしかないのですが、高橋まつりさんも自分なりのSOSを出していたかもしれません。それでもそのSOSが無視され続けたり気づかれなかったりしたかもしれません。業務が苦しいのに"女"を要求されてものすごい怒りを感じた日もあったかもしれません。彼女のツイートを見ると、おこがましくも当時の自分と重なって胸がキュッとなって息苦しくなります。こんなことを私が言う立場にないこともわかっていますし、今となってはどうしようもない言葉なのもわかっていますが、彼女も逃げることができたらよかった…。